先生から聞いた病気の話
妊娠中、私たちは先生から何度も、「詳しいことは、産まれてから分かります」と言われていた。
エコーで分かることには限界があり、骨が短いことや病気の可能性についてはある程度分かっていても、実際にどの程度の症状があるのか、自分でどのくらい呼吸ができるのか、目は見えているのか、耳は聞こえているのか、そして産まれたあとにどのような治療が必要になるのかまでは、お腹の中にいる娘を見ているだけでは分からなかった。
だから私は、どこかで「産まれたら分かる」と思っていたのだと思う。
1月5日になって娘が産まれれば、妊娠中からずっと抱えてきた「分からない」という時間が終わって、良くも悪くも何かしらの答えが出るのだと思っていた。
けれど、実際に娘が産まれてみると、それは少し違っていた。
産まれた瞬間にすべての答えが出るわけではなく、むしろ娘が産まれたことで初めてできる検査が始まり、そこで一つ結果が出れば次に確認しなければならないことが見つかって、私たちはそこからまた、一つずつ娘の身体のことを知っていくことになった。
NICUでは、先生が一枚のA4用紙を用意して、私たちに娘の病気について説明してくれた。
その紙には、妊娠中から可能性を言われていた「先天性脊椎骨端異形成症」という病名とともに、娘の身体について今分かっていること、これから考えられること、必要になる検査や治療について、私たちにも分かるように整理されていた。
「間違いなく、この病気です」
と、その時点ではっきり断定されたわけではなかったけれど、産まれてから行われた検査や身体の特徴を合わせて考えると、ほぼ先天性脊椎骨端異形成症で間違いないだろう、という説明だった。
妊娠中から何度も聞いていた病名だったから、初めて耳にする言葉ではなかったし、自分なりに調べてもいたし、そうなのだろうという覚悟もしていたはずなのに、目の前の紙にその病名が書かれ、それが今NICUで眠っている自分の娘についての説明なのだと思うと、妊娠中に聞いていたときとは、同じ言葉なのにまったく違う重さを持っているように感じた。
先生はその紙を見ながら、一つ一つ、ゆっくり説明してくれた。
この病気では、これから成長していく中で低身長になる可能性が高いことについては、妊娠中から長管骨が短いと言われ続けていたこともあって、私たちの中でもある程度は受け止める準備ができていたのだと思う。
身体が小さくても元気に生きていけるのであれば、それはこの子の個性として受け入れていけばいい。
そんなふうに考えることもできていた。
ただ、産まれてから具体的に聞いた話は、身長のことだけではなかった。
娘は産まれた直後から、自分の力だけで呼吸することが簡単ではない状態だったため、今後の状態によっては呼吸を助けるための呼吸器が必要になる可能性があることも説明された。
私はその話を聞きながら、NICUで何度も見ていた娘の小さな胸を思い浮かべていた。
胸が少し上がって、下がって、また上がる。
私たちが普段、意識することすらない呼吸というものを、娘は産まれたその日から一生懸命に繰り返していて、その姿を見ていると、「息をする」ということさえ決して当たり前ではないのだということを、初めて自分のこととして考えるようになった。
目についても、この時点ではまだ、どのくらい見えているのかは分からず、これから検査をしながら確認していく必要があると言われた。
耳についても同じで、今どの程度聞こえているのかはこれから調べていくことになり、この病気では難聴になる可能性も高いため、成長とともに継続して確認していく必要があるという説明だった。
娘の顔を見るたびに、大きな目が印象的で、妊娠中にエコー写真を見ながら「目、大きすぎない?」なんて夫と笑っていたことを思い出していたけれど、その目が私たちの顔をどのくらい見ているのかは、まだ分からなかった。
娘の名前を呼びながら話しかけても、その声がどのくらい届いているのかも、まだ分からない。
「産まれたら分かる」と思っていたのに、産まれてみれば、今度は「これから検査をして分かっていく」という言葉に変わっていた。
そのとき私は初めて、出産というのは長く続いた不安の答え合わせをする日ではなく、この子の身体について本当に知っていく時間の始まりだったのだと思った。
そして、産まれてから初めて実際に分かったことの一つが、口蓋裂だった。
妊娠中から口蓋裂がある可能性については聞いていたけれど、実際にあるかどうかは産まれてみなければ分からず、娘には口蓋裂があることが出生後に分かった。
口蓋裂があることで、口の中でうまく圧を作ることが難しく、普通の赤ちゃんと同じようにミルクを口から飲むことが簡単ではないため、これから少しずつ飲む練習をしていくことになり、そのために口蓋裂に対応したマウスピースも作ることになった。
赤ちゃんが産まれたら、お腹が空いて泣いて、それを抱っこしてミルクをあげて、お腹いっぱいになったら眠る。
そんな光景を、私は何の疑問もなく想像していた。
けれど娘にとっては、「口からミルクを飲む」ということさえ、最初から自然にできるものではなく、これから練習をしながら少しずつ覚えていくものだった。
さらに、娘の両足には強い内反足があり、産まれて初めてその足をしっかり見たときから、私はこの足でいつか立てるようになるのだろうか、この足で歩くことができるのだろうかと心配していた。
先生からは、今後の成長や足の状態を見ながら治療を続けていくことになり、将来的には手術が必要になる可能性もあると説明された。
まだ産まれて数日しか経っておらず、まだ家に帰ったこともなく、自分の口でミルクを飲むことさえこれから練習していく小さな娘の未来の中に、すでに「手術」という言葉が出てくることには、やはり怖さがあった。
けれど、NICUの先生たちは、その一度の説明だけで私たちを置いていくことはなかった。
娘には毎日のようにさまざまな検査や確認があり、その結果によって状態やこれからの予定も少しずつ変わっていったため、三日に一度くらいの間隔で、その時点までに分かった検査結果や現在の状態、これから行う検査や治療の予定について、先生が内容を更新しながら説明してくれた。
前回はまだ分からなかったことが、次の説明では少し分かっている。
その一方で、一つ分かったことで、また新しく確認しなければならないことが出てくる。
私たちはそのたびに説明を聞き、分からないことを質問し、また娘のところへ戻った。
一度にすべての未来を告げられるのではなく、そのときの娘に必要なことを、その都度一つずつ教えてもらえたことは、今振り返ると私たちにとってとても大きかったように思う。
もちろん、説明を聞くたびに不安になることもあった。
これから呼吸はどうなるのだろう。
目はどのくらい見えているのだろう。
耳は聞こえているのだろう。
ミルクを口から飲めるようになるのだろうか。
この足で歩けるようになるのだろうか。
これから何度病院へ通い、どんな治療を受け、何回手術をすることになるのだろう。
先生の説明を聞けば聞くほど、娘の未来には私たちがまだ知らないことがたくさんあるのだという現実も見えてきた。
それでも、不思議と妊娠中の私とは少し違っていた。
妊娠中は、まだ会ったことのない娘の未来を頭の中だけで想像し、病名を検索しては怖くなり、まだ起きてもいないことまで自分の中で現実にしてしまっていた。
でも今は、その娘が目の前にいる。
名前がある。
顔も知っている。
夫にそっくりな目と眉毛も知っている。
眠ったときの顔がさらに夫に似ることも知っている。
初めて抱いたときの軽さも、腕の中で感じた温かさも知っている。
そして何より、たくさんの機器につながれながらも、小さな胸を動かして一生懸命に生きている姿を知っている。
だから私は、先生の説明を聞きながら不安になっても、最後には「やるしかない」と思っていた。
この子を守らなければならないし、何があっても育てていかなければならないのだから、私が強くなって、命をかけてこの子を育てなければならない。
最初は、本気でそんなふうに思っていた。
でも、NICUで娘の顔を見ながら過ごしているうちに、その考え方は少しずつ変わっていった。
「私がこの子を育てなければいけない」
もちろん、それは間違っていない。
私はこの子の母親で、この子を守っていかなければならない。
でも、もしかしたら、それだけではないのかもしれないと思った。
私が一方的に娘を育てるのではなく、この子と一緒に私たちも成長していくのかもしれない。
娘が産まれて、まだほんの数日しか経っていないのに、私はすでに、それまで当たり前だと思っていたものが決して当たり前ではなかったことを、いくつも教えられていた。
息をすることも、赤ちゃんを抱くことも、口からミルクを飲むことも、目で家族の顔を見ることも、耳で声を聞くことも、自分の足で立って歩くことも、以前の私なら一つ一つ立ち止まって考えることすらなかった。
それなのに今は、その一つ一つがどれほどすごいことなのかを考えるようになっていた。
もしかしたら、この子と一緒に生きていくことで、今までの自分には見えていなかったものが見えるようになるのかもしれない。
今まで気づかなかったことに気づき、今までとは違う価値観で物事を見るようになり、この子だけではなく、私たち自身も少しずつ変わっていくのかもしれない。
もちろん、この時点ですべてを前向きに受け止められていたわけではなかったし、目の検査も怖ければ、耳の検査も怖く、呼吸のことも、ミルクのことも、足のことも、これから必要になるかもしれない手術のことも、考えれば不安はいくらでも出てきた。
ただ、全部を今日知る必要はないし、全部を今日受け入れる必要もないのだと思えるようにはなっていた。
今日分かったことは、今日考える。
次の検査で分かったことは、そのときにまた考える。
できることが一つ増えたら、一緒に喜んで、うまくいかなかったら、また先生や看護師さんと一緒に考えればいい。
三日に一度、先生が新しい情報を整理して説明してくれたように、私たちも一度に娘の人生すべてを背負うのではなく、そのとき目の前にあることを一つずつ受け止めていけばいい。
妊娠中、あれほど怖かった「先天性脊椎骨端異形成症」という長い病名も、少しずつ私の中で意味が変わり始めていた。
それは確かに娘がこれから付き合っていく病気であり、これからの生活に大きく関わってくるものではある。
でも、それが娘のすべてではない。
娘には、夫にそっくりな目と眉毛があって、眠るともっと夫に似て、抱っこをすると温かくて、小さな身体で今日も一生懸命に息をしている。
病名の向こう側には、
ちゃんと、いとちゃんがいる。
だから私は、
「命をかけて、この子を育てなければ」
と思っていた気持ちを、少しだけ言い換えることにした。
一緒に成長していこう。
これから何が待っているのかは、まだ分からない。
検査をして、結果を聞いて、また次の検査をして、そのたびに不安になったり、安心したりしながら進んでいくのだと思う。
それでも、この子と一緒に歩いていく中で、きっと私たち自身も何かに気づいていく。
今まで見えていなかったものを見つけて、今まで知らなかったことを知って、娘と一緒に少しずつ成長していく。
それでいいのかもしれない。
いとちゃん。
あなたの未来について、
このときの私たちは、まだほとんど何も知らなかった。
でも、最初から全部を知る必要なんてなかったんだと思う。
一日ずつ、一つずつ、あなたと一緒に知っていけばいい。
あなたが成長していく隣で、
私たちも一緒に成長していけばいい。
先生が用意してくれた一枚の紙を見ながら、まだ分からないことばかりの娘の未来について話を聞いたあの日、私は少しずつ、そんなふうに思えるようになっていた。


