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  • いとちゃんの物語 第二章 第三話

    先生から聞いた病気の話

    🌍Read in English

    妊娠中、私たちは先生から何度も、「詳しいことは、産まれてから分かります」と言われていた。

    エコーで分かることには限界があり、骨が短いことや病気の可能性についてはある程度分かっていても、実際にどの程度の症状があるのか、自分でどのくらい呼吸ができるのか、目は見えているのか、耳は聞こえているのか、そして産まれたあとにどのような治療が必要になるのかまでは、お腹の中にいる娘を見ているだけでは分からなかった。

    だから私は、どこかで「産まれたら分かる」と思っていたのだと思う。

    1月5日になって娘が産まれれば、妊娠中からずっと抱えてきた「分からない」という時間が終わって、良くも悪くも何かしらの答えが出るのだと思っていた。

    けれど、実際に娘が産まれてみると、それは少し違っていた。

    産まれた瞬間にすべての答えが出るわけではなく、むしろ娘が産まれたことで初めてできる検査が始まり、そこで一つ結果が出れば次に確認しなければならないことが見つかって、私たちはそこからまた、一つずつ娘の身体のことを知っていくことになった。

    NICUでは、先生が一枚のA4用紙を用意して、私たちに娘の病気について説明してくれた。

    その紙には、妊娠中から可能性を言われていた「先天性脊椎骨端異形成症」という病名とともに、娘の身体について今分かっていること、これから考えられること、必要になる検査や治療について、私たちにも分かるように整理されていた。

    「間違いなく、この病気です」

    と、その時点ではっきり断定されたわけではなかったけれど、産まれてから行われた検査や身体の特徴を合わせて考えると、ほぼ先天性脊椎骨端異形成症で間違いないだろう、という説明だった。

    妊娠中から何度も聞いていた病名だったから、初めて耳にする言葉ではなかったし、自分なりに調べてもいたし、そうなのだろうという覚悟もしていたはずなのに、目の前の紙にその病名が書かれ、それが今NICUで眠っている自分の娘についての説明なのだと思うと、妊娠中に聞いていたときとは、同じ言葉なのにまったく違う重さを持っているように感じた。

    先生はその紙を見ながら、一つ一つ、ゆっくり説明してくれた。

    この病気では、これから成長していく中で低身長になる可能性が高いことについては、妊娠中から長管骨が短いと言われ続けていたこともあって、私たちの中でもある程度は受け止める準備ができていたのだと思う。

    身体が小さくても元気に生きていけるのであれば、それはこの子の個性として受け入れていけばいい。

    そんなふうに考えることもできていた。

    ただ、産まれてから具体的に聞いた話は、身長のことだけではなかった。

    娘は産まれた直後から、自分の力だけで呼吸することが簡単ではない状態だったため、今後の状態によっては呼吸を助けるための呼吸器が必要になる可能性があることも説明された。

    私はその話を聞きながら、NICUで何度も見ていた娘の小さな胸を思い浮かべていた。

    胸が少し上がって、下がって、また上がる。

    私たちが普段、意識することすらない呼吸というものを、娘は産まれたその日から一生懸命に繰り返していて、その姿を見ていると、「息をする」ということさえ決して当たり前ではないのだということを、初めて自分のこととして考えるようになった。

    目についても、この時点ではまだ、どのくらい見えているのかは分からず、これから検査をしながら確認していく必要があると言われた。

    耳についても同じで、今どの程度聞こえているのかはこれから調べていくことになり、この病気では難聴になる可能性も高いため、成長とともに継続して確認していく必要があるという説明だった。

    娘の顔を見るたびに、大きな目が印象的で、妊娠中にエコー写真を見ながら「目、大きすぎない?」なんて夫と笑っていたことを思い出していたけれど、その目が私たちの顔をどのくらい見ているのかは、まだ分からなかった。

    娘の名前を呼びながら話しかけても、その声がどのくらい届いているのかも、まだ分からない。

    「産まれたら分かる」と思っていたのに、産まれてみれば、今度は「これから検査をして分かっていく」という言葉に変わっていた。

    そのとき私は初めて、出産というのは長く続いた不安の答え合わせをする日ではなく、この子の身体について本当に知っていく時間の始まりだったのだと思った。

    そして、産まれてから初めて実際に分かったことの一つが、口蓋裂だった。

    妊娠中から口蓋裂がある可能性については聞いていたけれど、実際にあるかどうかは産まれてみなければ分からず、娘には口蓋裂があることが出生後に分かった。

    口蓋裂があることで、口の中でうまく圧を作ることが難しく、普通の赤ちゃんと同じようにミルクを口から飲むことが簡単ではないため、これから少しずつ飲む練習をしていくことになり、そのために口蓋裂に対応したマウスピースも作ることになった。

    赤ちゃんが産まれたら、お腹が空いて泣いて、それを抱っこしてミルクをあげて、お腹いっぱいになったら眠る。

    そんな光景を、私は何の疑問もなく想像していた。

    けれど娘にとっては、「口からミルクを飲む」ということさえ、最初から自然にできるものではなく、これから練習をしながら少しずつ覚えていくものだった。

    さらに、娘の両足には強い内反足があり、産まれて初めてその足をしっかり見たときから、私はこの足でいつか立てるようになるのだろうか、この足で歩くことができるのだろうかと心配していた。

    先生からは、今後の成長や足の状態を見ながら治療を続けていくことになり、将来的には手術が必要になる可能性もあると説明された。

    まだ産まれて数日しか経っておらず、まだ家に帰ったこともなく、自分の口でミルクを飲むことさえこれから練習していく小さな娘の未来の中に、すでに「手術」という言葉が出てくることには、やはり怖さがあった。

    けれど、NICUの先生たちは、その一度の説明だけで私たちを置いていくことはなかった。

    娘には毎日のようにさまざまな検査や確認があり、その結果によって状態やこれからの予定も少しずつ変わっていったため、三日に一度くらいの間隔で、その時点までに分かった検査結果や現在の状態、これから行う検査や治療の予定について、先生が内容を更新しながら説明してくれた。

    前回はまだ分からなかったことが、次の説明では少し分かっている。

    その一方で、一つ分かったことで、また新しく確認しなければならないことが出てくる。

    私たちはそのたびに説明を聞き、分からないことを質問し、また娘のところへ戻った。

    一度にすべての未来を告げられるのではなく、そのときの娘に必要なことを、その都度一つずつ教えてもらえたことは、今振り返ると私たちにとってとても大きかったように思う。

    もちろん、説明を聞くたびに不安になることもあった。

    これから呼吸はどうなるのだろう。

    目はどのくらい見えているのだろう。

    耳は聞こえているのだろう。

    ミルクを口から飲めるようになるのだろうか。

    この足で歩けるようになるのだろうか。

    これから何度病院へ通い、どんな治療を受け、何回手術をすることになるのだろう。

    先生の説明を聞けば聞くほど、娘の未来には私たちがまだ知らないことがたくさんあるのだという現実も見えてきた。

    それでも、不思議と妊娠中の私とは少し違っていた。

    妊娠中は、まだ会ったことのない娘の未来を頭の中だけで想像し、病名を検索しては怖くなり、まだ起きてもいないことまで自分の中で現実にしてしまっていた。

    でも今は、その娘が目の前にいる。

    名前がある。

    顔も知っている。

    夫にそっくりな目と眉毛も知っている。

    眠ったときの顔がさらに夫に似ることも知っている。

    初めて抱いたときの軽さも、腕の中で感じた温かさも知っている。

    そして何より、たくさんの機器につながれながらも、小さな胸を動かして一生懸命に生きている姿を知っている。

    だから私は、先生の説明を聞きながら不安になっても、最後には「やるしかない」と思っていた。

    この子を守らなければならないし、何があっても育てていかなければならないのだから、私が強くなって、命をかけてこの子を育てなければならない。

    最初は、本気でそんなふうに思っていた。

    でも、NICUで娘の顔を見ながら過ごしているうちに、その考え方は少しずつ変わっていった。

    「私がこの子を育てなければいけない」

    もちろん、それは間違っていない。

    私はこの子の母親で、この子を守っていかなければならない。

    でも、もしかしたら、それだけではないのかもしれないと思った。

    私が一方的に娘を育てるのではなく、この子と一緒に私たちも成長していくのかもしれない。

    娘が産まれて、まだほんの数日しか経っていないのに、私はすでに、それまで当たり前だと思っていたものが決して当たり前ではなかったことを、いくつも教えられていた。

    息をすることも、赤ちゃんを抱くことも、口からミルクを飲むことも、目で家族の顔を見ることも、耳で声を聞くことも、自分の足で立って歩くことも、以前の私なら一つ一つ立ち止まって考えることすらなかった。

    それなのに今は、その一つ一つがどれほどすごいことなのかを考えるようになっていた。

    もしかしたら、この子と一緒に生きていくことで、今までの自分には見えていなかったものが見えるようになるのかもしれない。

    今まで気づかなかったことに気づき、今までとは違う価値観で物事を見るようになり、この子だけではなく、私たち自身も少しずつ変わっていくのかもしれない。

    もちろん、この時点ですべてを前向きに受け止められていたわけではなかったし、目の検査も怖ければ、耳の検査も怖く、呼吸のことも、ミルクのことも、足のことも、これから必要になるかもしれない手術のことも、考えれば不安はいくらでも出てきた。

    ただ、全部を今日知る必要はないし、全部を今日受け入れる必要もないのだと思えるようにはなっていた。

    今日分かったことは、今日考える。

    次の検査で分かったことは、そのときにまた考える。

    できることが一つ増えたら、一緒に喜んで、うまくいかなかったら、また先生や看護師さんと一緒に考えればいい。

    三日に一度、先生が新しい情報を整理して説明してくれたように、私たちも一度に娘の人生すべてを背負うのではなく、そのとき目の前にあることを一つずつ受け止めていけばいい。

    妊娠中、あれほど怖かった「先天性脊椎骨端異形成症」という長い病名も、少しずつ私の中で意味が変わり始めていた。

    それは確かに娘がこれから付き合っていく病気であり、これからの生活に大きく関わってくるものではある。

    でも、それが娘のすべてではない。

    娘には、夫にそっくりな目と眉毛があって、眠るともっと夫に似て、抱っこをすると温かくて、小さな身体で今日も一生懸命に息をしている。

    病名の向こう側には、

    ちゃんと、いとちゃんがいる。

    だから私は、

    「命をかけて、この子を育てなければ」

    と思っていた気持ちを、少しだけ言い換えることにした。

    一緒に成長していこう。

    これから何が待っているのかは、まだ分からない。

    検査をして、結果を聞いて、また次の検査をして、そのたびに不安になったり、安心したりしながら進んでいくのだと思う。

    それでも、この子と一緒に歩いていく中で、きっと私たち自身も何かに気づいていく。

    今まで見えていなかったものを見つけて、今まで知らなかったことを知って、娘と一緒に少しずつ成長していく。

    それでいいのかもしれない。

    いとちゃん。

    あなたの未来について、

    このときの私たちは、まだほとんど何も知らなかった。

    でも、最初から全部を知る必要なんてなかったんだと思う。

    一日ずつ、一つずつ、あなたと一緒に知っていけばいい。

    あなたが成長していく隣で、

    私たちも一緒に成長していけばいい。

    先生が用意してくれた一枚の紙を見ながら、まだ分からないことばかりの娘の未来について話を聞いたあの日、私は少しずつ、そんなふうに思えるようになっていた。

  • いとちゃんの物語 第二章 第二話

    初めて会った、小さなあなた

    🌍Read in English

    産まれた日の夜。

    NICUにいる娘の身体には、本当にたくさんのものがついていた。

    呼吸を助けるためのもの。

    心臓の動きを見るためのもの。

    点滴。

    心電図。

    そして、ミルクを飲むための管。

    どれが何のためについているのか、そのときの私にはすべてを理解することなんてできなかった。

    ただ、小さな身体から何本もの線や管が伸びている。

    それだけで、やっぱり怖かった。

    でも、その中にいる娘の顔をじっと見ていると、少しずつ別のことも考えられるようになった。

    「目と眉毛は、パパだね」

    それ以外は、私に似ている気がした。

    寝ている顔は、特に夫によく似ていた。

    妊娠中、エコー写真を見ながら、

    「どっちに似てるんだろうね」

    と話していた。

    あの頃は、まだ白黒の画面の中にしかいなかった娘が、今は目の前にいる。

    目は夫。

    眉毛も夫。

    寝顔も夫。

    それ以外は私。

    そんなことを考えていると、身体についているたくさんの機器の向こう側に、少しずつ「娘の顔」が見えてくるような気がした。

    かわいい。

    そう思った。

    でも、かわいいという気持ちだけではなかった。

    その隣には、いつも怖さがあった。

    ちゃんと呼吸できているかな。

    苦しくないかな。

    この数字は大丈夫なのかな。

    この音は何だろう。

    何か機械が鳴るたびに、私は反応してしまった。

    娘を見ているだけなのに、心のどこかではずっと緊張していた。

    そして、産まれた翌日。

    午後3時頃。

    看護師さんから、

    「抱っこしてみましょうか」

    と言ってもらった。

    初めての抱っこだった。

    誰が最初に抱くのか。

    看護師さんは、最初の抱っこはお母さんに、と考えてくれていた。

    そこにはきっと、

    「まずはママに抱いてもらいたい」

    という看護師さんの優しい願いもあったのだと思う。

    私は娘を受け取った。

    身体には、まだたくさんのものがついている。

    だから、普通に赤ちゃんを抱き上げるようにはいかない。

    管や線に気をつけながら、看護師さんに手伝ってもらって、小さな身体を腕の中に乗せてもらった。

    軽かった。

    そして、温かかった。

    産まれてから、ずっと会いたかった。

    前の日にも触れることはできた。

    目の前で顔を見ることもできた。

    でも、

    「触れる」

    のと、

    「抱く」

    のは、まったく違った。

    自分の腕の中に、娘がいる。

    そのことが分かった瞬間、涙が出た。

    やっと抱けた。

    やっと、この子を自分の腕の中に入れてあげられた。

    娘は、頑張って息をしていた。

    小さな胸が動いている。

    呼吸をする。

    それだけのことを、この子は今、一生懸命やっている。

    私は娘を抱きながら、ただ泣いた。

    嬉しかった。

    感動した。

    心配だった。

    怖かった。

    たぶん、その全部だった。

    産まれた瞬間には、気持ちが追いつかなかった。

    目の前でいろいろな処置が始まって、抱くこともできず、そのままNICUへ行ってしまった。

    でも今は違う。

    腕の中にいる。

    私がずっとお腹の中で育ててきた娘が、本当にここにいる。

    「頑張ってるね」

    そんな気持ちで、小さな身体を見ていた。

    そのあと、夫も娘を抱いた。

    夫の腕の中にいる娘を見るのも、不思議な気持ちだった。

    昨日まで、娘は私のお腹の中にいた。

    夫は、お腹の上から触れることしかできなかった。

    それが今は、自分の腕で娘を抱いている。

    そしてもう一度、私が娘を抱いた。

    そのまま夫が隣に来て、3人で写真を撮った。

    私が娘を抱いて。

    その隣に夫がいて。

    真ん中に、小さないとちゃんがいる。

    初めての家族3人の写真だった。

    病室でもない。

    自宅でもない。

    NICU。

    娘の身体には、いくつもの機器がついていた。

    私たちが妊娠中に想像していた家族写真とは、きっと少し違う。

    それでも、その写真は間違いなく、

    私たち3人が家族になった瞬間の一枚だった。

    嬉しかった。

    ただ、嬉しかった。

    このとき初めて、

    「私たち、3人になったんだ」

    という実感が湧いた気がする。

    私の入院は、3日間ほどだった。

    その間、NICUに入れる時間は、できるだけ娘のそばにいた。

    自分の身体も出産直後で、決して楽ではなかった。

    それでも、病室にいると娘に会いたくなった。

    今、何しているかな。

    寝ているかな。

    ちゃんと呼吸できているかな。

    泣いていないかな。

    そんなことばかり考えた。

    だからNICUへ行った。

    行ける時間になれば、娘のところへ行った。

    夜も、できるだけ長くいた。

    「そろそろ戻らないと」

    と思いながらも、あと少し。

    もう少しだけ。

    そう思って、時間ぎりぎりまで娘のそばにいた。

    離れるのが嫌だった。

    娘が産まれるまでは、24時間ずっと一緒だった。

    私が寝ているときも。

    ご飯を食べているときも。

    お風呂に入っているときも。

    娘はずっと、お腹の中にいた。

    それなのに、産まれた途端、会える時間が決められている。

    それが、少し寂しかった。

    夫も、仕事がある中、毎日病院へ来てくれた。

    仕事を終えて病院へ来て、娘に会う。

    そしてまた帰っていく。

    妊娠中、何度もこの病院まで運転してくれた夫が、今度は産まれた娘に会うために毎日通っていた。

    NICUで眠る娘を見ると、

    「パパそっくりだね」

    と思った。

    特に寝顔。

    本当に夫によく似ていた。

    そんな小さな発見が、嬉しかった。

    病気のことを考えている時間の中に、

    目はパパ。

    眉毛もパパ。

    寝顔もパパ。

    ここはママかな。

    そんな、ごく普通の親の時間が少しずつ増えていった。

    でも、怖さがなくなったわけではなかった。

    むしろ、娘をかわいいと思えば思うほど、怖くなることもあった。

    この子はこれからどうなるんだろう。

    ちゃんと大きくなれるのかな。

    呼吸は大丈夫なのかな。

    足はどうなるのかな。

    いつ退院できるんだろう。

    かわいい。

    だからこそ、失いたくない。

    だからこそ、怖い。

    その二つの感情は、いつも一緒にあった。

    そして、NICUで過ごす中で、もう一つ強く感じたことがあった。

    看護師さんたちの存在だった。

    本当にすごかった。

    小さな赤ちゃんの身体につながった機器を確認しながら、一つ一つ丁寧にケアをする。

    泣けば優しく声をかける。

    少しの変化にも気づく。

    私たち親が不安そうにしていれば、分かるように説明してくれる。

    娘を一人の患者としてだけではなく、一人の赤ちゃんとして接してくれているように感じた。

    私は、その姿を見ながら何度も救われた。

    同時に、NICUにいるのは、もちろん娘だけではなかった。

    そこには、たくさんの赤ちゃんがいた。

    本当に小さな赤ちゃん。

    いくつもの機器につながれている赤ちゃん。

    それぞれの理由で、一生懸命に生きている赤ちゃんたち。

    そして、その子たちに会いに来る家族がいた。

    妊娠中、大きな病院の待合室で、いろいろな家族を見た。

    泣いている人を見て、

    「もしかしたら、私たちもいつか、こちら側になるのかもしれない」

    と思ったことがあった。

    そして今、私はNICUの中にいた。

    でも、実際にそこへ来てみると、妊娠中に想像していた「こちら側」とは少し違った。

    そこにいたのは、

    かわいそうな赤ちゃんたち、

    ではなかった。

    それぞれの身体で、一生懸命生きている赤ちゃんたちだった。

    そして、その小さな命を守ろうとしている人たちがいた。

    私はそれまで、

    赤ちゃんは産まれたら、お母さんに抱かれる。

    ミルクを飲む。

    一緒に家へ帰る。

    そして家族の生活が始まる。

    どこかで、それが「普通」だと思っていた。

    でも、そうではない始まり方もたくさんあることを、私は初めて知った。

    当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかった。

    呼吸すること。

    泣くこと。

    抱っこできること。

    家族3人で写真を撮れること。

    ただ、生きていること。

    その一つ一つが、本当はすごいことなのかもしれない。

    娘が産まれて、まだ数日しか経っていない。

    それなのに、自分の中にあった「普通」というものが、少しずつ崩れていくのを感じていた。

    それは、悲しいことだけではなかった。

    むしろ今まで見えていなかったものが、少しずつ見えるようになった感覚に近かった。

    小さな身体で、頑張って息をしている娘。

    その娘を抱きながら泣いた私。

    隣で笑っている夫。

    そして、初めて撮った3人の写真。

    あの写真を見ると、今でも思う。

    あの日、私たちはようやく、

    「赤ちゃんが産まれた家族」になったのかもしれない。

    想像していた始まり方とは違った。

    でも、これが私たちの始まりだった。

    いとちゃん。

    小さなあなたを初めて抱いたあの日。

    私はまだ、あなたの病気についてほとんど何も知らなかった。

    これから何が起こるのかも分からなかった。

    怖さも、まだたくさん残っていた。

    それでも、腕の中で一生懸命息をしているあなたを見ながら、

    私は少しずつ、

    「この子と生きていくんだ」

    ということを感じ始めていた。

  • いとちゃんの物語 第二章 第一話|産まれた日

    🌍Read in English

    産まれた。

    長い時間、何度いきんでもなかなか出てこなかった娘が、吸引と先生の力を借りて、ようやく私の身体の外へ出てきた。

    その瞬間、まず目に入ったのは、娘の頭だった。

    吸引分娩だったからなのか、頭が驚くほど長く伸びていた。

    妊娠中、何度もエコー写真を見ながら想像していた赤ちゃんの姿とは、ずいぶん違って見えた。

    そして、娘は泣いた。

    その声を聞いた。

    妊娠中、何度願っただろう。

    ちゃんと息をして。

    できることなら、あなたの声を聞かせて。

    そう願い続けてきた娘が、目の前で泣いている。

    「泣いた」

    そのことには、確かに安心した。

    でも、娘の呼吸は苦しそうだった。

    産まれたばかりの娘の周りに、すぐに先生や看護師さんたちが集まった。

    身体には、次々といろいろなものが取り付けられていった。

    私は横になったまま、その様子を見ていた。

    泣いてくれた。

    産まれてきてくれた。

    それなのに、私が思い描いていた「赤ちゃんが産まれた瞬間」とは、まったく違っていた。

    産まれた赤ちゃんを胸の上に乗せてもらう。

    小さな身体を抱きしめる。

    夫と一緒に顔を覗き込んで、

    「かわいいね」

    と言う。

    そんな場面を、どこかで当たり前のように想像していたのだと思う。

    でも、私たちにはその時間がなかった。

    写真を撮ることはできた。

    けれど、抱っこすることはできなかった。

    娘は、そのままNICUへ行くことになった。

    それ自体は、突然知らされたことではなかった。

    妊娠中から、産まれたあとは1ヶ月以上の入院になるだろうと聞いていた。

    だから、頭では分かっていた。

    産まれてすぐ、一緒に病室へ戻れるわけではない。

    すぐに家族3人の生活が始まるわけでもない。

    そうなる可能性が高いことは、何度も説明されていた。

    それでも、実際に娘が連れて行かれるのを見るのは、想像していたのとは違った。

    産まれた。

    確かに産まれた。

    でも、抱くこともできないまま、娘は私たちとは別の場所へ行った。

    あれほど会いたかったのに。

    会えた時間は、ほんの少しだった。

    夫は、産まれた娘を見たとき、

    「エコー写真で見ていた通りだ」

    と思ったらしい。

    妊娠中、先生が正面から顔を映してくれた、あのエコー写真。

    身体の大きさに対して、驚くほど目が大きく見えて、

    「目、大きすぎない?」

    と私が思わず笑ってしまった、あの写真。

    本当に、そのままだった。

    目がクリクリしていた。

    夫は、

    かわいい。

    泣いてくれた。

    産まれてきてくれた。

    そんな気持ちで、感動したという。

    でも、私は少し違った。

    これは書くべきなのか、少し迷う。

    でも、あのとき本当にそう感じたのだから、残しておこうと思う。

    私は、産まれたばかりの娘を見て、すぐに「かわいい」とは思えなかった。

    もちろん、産まれてきてくれたことは嬉しかった。

    泣いてくれたことにも安心した。

    ずっと会いたかった娘だった。

    それでも、目の前にいる娘を見た瞬間、私の中に最初に出てきた感情は、単純な「かわいい」ではなかった。

    吸引分娩で長く伸びた頭。

    苦しそうな呼吸。

    産まれた直後から身体に取り付けられていく、いろいろな医療機器。

    慌ただしく動く先生たち。

    そして、すぐにNICUへ向かう娘。

    情報が多すぎた。

    感情が追いついていなかったのだと思う。

    妊娠中、私はずっと「産まれたら分かる」と言われ続けてきた。

    呼吸はできるのか。

    身体はどんな状態なのか。

    病気はどの程度なのか。

    どんな症状があるのか。

    何度聞いても、

    「詳しいことは、産まれてから」

    だった。

    だから私は、娘に会いたいと思う一方で、産まれることを怖がってもいた。

    産まれた瞬間は、娘に会える瞬間であると同時に、それまで分からなかったことが一気に現実になる瞬間でもあったから。

    そして、その「現実」が目の前に現れた。

    だからなのかもしれない。

    かわいい。

    嬉しい。

    感動した。

    そんな一つの言葉だけでは、あの瞬間の自分の気持ちを表せなかった。

    娘がNICUへ行ったあと、私は出産後の処置を受けながら、その場に残った。

    さっきまで、ここには娘がいた。

    ずっと私のお腹の中にいた娘が、ほんの少しだけここにいて、そしてまた別の場所へ行ってしまった。

    不思議な感覚だった。

    お腹はもう空っぽなのに、腕の中にも娘はいない。

    産んだはずなのに、まだ「赤ちゃんが産まれた」という実感が追いついてこなかった。

    それから、およそ4時間後。

    私はNICUに入ることができた。

    娘に、もう一度会える。

    今度は分娩室で一瞬見るだけではない。

    ちゃんと娘のそばへ行ける。

    NICUに入り、娘を見つけた。

    そこにいたのは、間違いなく、さっき私が産んだ娘だった。

    小さい。

    本当に小さな身体だった。

    そして、身体にはたくさんのものがついていた。

    心電図をはじめ、私にはそのとき何のためのものなのか分からないものまで、いろいろな機器につながれていた。

    その姿を見ると、やっぱり心配になった。

    そして、足を見た。

    両足が、強く内側に向いていた。

    妊娠中から足について指摘されていたけれど、実際に自分の目で見ると、想像していた以上だった。

    大丈夫なのかな。

    歩けるようになるのかな。

    治るのかな。

    この子の身体は、これからどうなっていくんだろう。

    また、未来のことを考えた。

    妊娠中、あれほど何度も繰り返してきたことを、私は娘が産まれたその日から、また始めていた。

    でも、分娩室で初めて見たときとは、少しだけ気持ちが違った。

    NICUで娘のそばに行き、触れることができた。

    やっと触れられた。

    自分のお腹の中に何ヶ月もいた子に、初めて自分の手で触れた。

    その瞬間、ようやく少しずつ実感が湧いてきた。

    この子が、私の娘なんだ。

    エコーの中で何度も見ていた子。

    お腹の中で何度も動いていた子。

    骨が短いと言われて、何度も心配した子。

    病名を検索して、まだ起きてもいない未来まで想像して、何度も泣いた。

    ずっと、

    「無事に産まれてきて」

    と願い続けた子。

    その子が、今、私の目の前にいる。

    身体にはたくさんの機器がついている。

    足の形も気になる。

    呼吸のことも心配だった。

    これから1ヶ月以上、入院生活が続く。

    病気についても、まだ分からないことばかりだった。

    それでも、そのとき初めて、心の底から一つの言葉が出てきた。

    産まれてきてくれて、ありがとう。

    分娩室では、まだ気持ちが追いつかなかった。

    すぐに「かわいい」と思えなかった自分もいた。

    でも、NICUで小さな身体に触れたとき、そんなことはどうでもよくなった。

    かわいいとか。

    普通とか。

    これからどうなるとか。

    そのときだけは、少し先の未来を考えることをやめられた。

    この子は今、ここにいる。

    小さな身体で、生きている。

    それだけでよかった。

    私は娘に触れながら、もう一度、心の中で言った。

    産まれてきてくれて、ありがとう。

    いとちゃん。

    やっと、会えたね。

  • いとちゃんの物語 第一章 第六話

    産まれた。

    🌏Read in English

    1月5日。

    この日、私は娘を産むことになっていた。

    前日の夜、病室で大きくなったお腹に手を当てながら、

    「もうすぐ会えるね」

    と何度も話しかけた。

    ちゃんと息をしてほしい。

    できることなら、声を聞かせてほしい。

    そして、私たちに顔を見せてほしい。

    それだけを願いながら、朝を迎えた。

    朝7時頃。

    出産を進めるために、促進剤が始まった。

    初めての出産だから、そんなにすぐには陣痛は来ないだろう、と聞いていた。

    私自身も、すぐに何かが始まるとは思っていなかった。

    夫にも、

    「そんなに早く来なくて大丈夫だよ」

    と伝えた。

    長い一日になるかもしれない。

    もしかしたら、今日中に産まれないことだってあるのかもしれない。

    そんなふうに思っていた。

    だから、促進剤を入れた直後は、まだどこか落ち着いていた。

    これから少しずつ始まっていくんだ。

    そんな感覚だった。

    ところが、予想していたよりもずっと早く身体は反応した。

    促進剤を始めてから、約2時間。

    お腹の痛みが強くなってきた。

    最初は、

    「これが陣痛なのかな」

    くらいだった。

    でも、すぐにそんな余裕はなくなった。

    痛い。

    ただ、それしか考えられなかった。

    今まで感じたことのないような痛みが、波のようにやってくる。

    少し落ち着いたと思ったら、また次が来る。

    私は夫にすぐ連絡した。

    「陣痛きた。早く来て」

    さっきまで、

    「そんなに早く来なくて大丈夫」

    と言っていたのに、もうそんなことを言っている場合ではなかった。

    とにかく早く来てほしかった。

    一人でこの痛みを受けることが、急に怖くなった。

    そのあと、無痛分娩のための麻酔をしてもらった。

    これで少し楽になる。

    そう思っていた。

    でも、私の場合は、思っていたほど効かなかった。

    痛みは残った。

    陣痛の波が来るたびに、身体に力が入った。

    無痛分娩という言葉から、もっと痛みがなくなるものだと勝手に想像していたのかもしれない。

    でも、そのときの私には、十分に痛かった。

    そして夫が病院に到着した。

    顔を見た瞬間、少しだけ安心した。

    妊娠中、何度もこの病院まで一緒に来た。

    何度も知らない病名を聞いた。

    何度も不安になった。

    何度も私は泣いた。

    そして、この日も夫は私のところまで来てくれた。

    もしかしたら、ここから長丁場になるかもしれない。

    私も、夫も、そう思っていた。

    でも、促進剤を始めてから3時間ほど経った頃には、かなり激しい陣痛が来るようになっていた。

    出産のための体勢に入り、いよいよという空気になっていった。

    思っていたよりも、ずっと早い。

    朝、促進剤を入れたばかりなのに。

    さっきまで夫に、

    「そんなに早く来なくていい」

    と言っていたのに。

    気づけば、もう「産む」というところまで来ていた。

    陣痛がまた強くなった頃、処置のため、夫はいったん別室へ移動することになった。

    その間も、痛みは続いた。

    時間の感覚は、だんだん曖昧になっていった。

    何分経ったのか。

    今が何時なのか。

    あとどれくらいなのか。

    そんなことを考える余裕は、ほとんどなかった。

    そして、

    「そろそろかもしれません」

    という頃になり、夫が再び分娩室に戻ってきた。

    ここまでは、順調だった。

    促進剤にもすぐ反応した。

    陣痛も来た。

    出産の体勢にも入った。

    だから私は、ここからそう長くはかからないのかもしれないと思っていた。

    でも、本当に長く感じたのは、そこからだった。

    いきむ。

    休む。

    また陣痛が来る。

    またいきむ。

    何度繰り返しても、産まれてこない。

    「次こそ」

    と思う。

    でも、産まれない。

    また陣痛が来る。

    身体中に力を入れる。

    今まで出したことのないような力を振り絞る。

    それでも、産まれてこない。

    夫は、私の頭の近くにずっといてくれた。

    何ができるわけでもない。

    ただ、私の頭をずっと撫でてくれていた。

    痛い。

    苦しい。

    もう無理かもしれない。

    そんなことを考えながら、それでも陣痛が来れば、また力を入れるしかなかった。

    先生たちからは、赤ちゃんが産まれてくるためには、お母さんが押し出す力だけではなく、赤ちゃん自身が出ようとする力も少し必要なのだと説明された。

    その力が、少し弱いのかもしれない。

    そんな話を聞いた。

    それを聞いたとき、妊娠中に何度も考えていたことが、頭をよぎった。

    この子は大丈夫なのだろうか。

    ちゃんと産まれてこられるのだろうか。

    でも、そのときは考え込む余裕なんてなかった。

    ただ、

    「出てきて」

    と思った。

    一緒に頑張ろう。

    あと少しだから。

    出てきて。

    1時間。

    そして、2時間。

    それでも、娘はなかなか産まれてこなかった。

    私自身の体力も削られていった。

    それ以上に先生たちは、赤ちゃんの体力のことを気にしていた。

    このまま産まれてこなければ、帝王切開になる可能性もある。

    そう伝えられた。

    ここまで来て、帝王切開になるかもしれない。

    でも、その言葉を聞いたとき、不思議と、

    「絶対に自然に産みたい」

    とは思わなかった。

    どんな形でもいい。

    この子が無事なら、それでいい。

    妊娠中、何度も何度も心配してきた。

    病気のこと。

    呼吸のこと。

    合併症のこと。

    でも、今はそれより先に、この子が無事にここまで来てくれることだけが大事だった。

    そして最終的に、吸引分娩をすることになった。

    その頃の分娩室には、いつの間にかたくさんの人がいた。

    助産師さん。

    先生たち。

    そして、研修医なのか、見学の人なのか、私には分からなかった。

    大人が15人くらいいたように記憶している。

    出産中の私は、

    「こんなに人いるんだ」

    と、どこか不思議な気持ちになっていた。

    普通の出産でもこんなに人がいるのだろうか。

    この子が少し特別だからなのだろうか。

    そんなことを考えた。

    でも、すぐにまた陣痛が来て、そんなことを考えている余裕もなくなった。

    いよいよ吸引が始まる。

    私も、もう一度力を入れる。

    そのときだった。

    ひときわ身体の大きな男性の先生が入ってきた。

    そのときの私は、その先生が誰なのか知らなかった。

    あとになって、その場で一番立場の上の先生だったと知った。

    先生は私のお腹の上の方から、赤ちゃんを下へ送り出すように、強い力をかけた。

    私の感覚では、本当に身体ごと押し込まれるような力だった。

    吸引。

    私のいきみ。

    そして、先生の一押し。

    そのすべてが重なった。

    次の瞬間だった。

    産まれた。

    あれほど長く感じていた時間が、その瞬間だけ、一気に動いたような気がした。

    ずっとお腹の中にいた娘が、初めて私の身体の外に出てきた。

    何ヶ月も、エコーの画面越しにしか見ることのできなかった娘。

    骨が短いと言われた娘。

    先天性脊椎骨端異形成症かもしれないと言われた娘。

    産まれたあと、自分で呼吸ができるのか分からないと言われていた娘。

    その娘が今、私たちと同じ世界にいた。

    「産まれた」

    その言葉だけが、頭の中に浮かんだ。

    それ以上のことを考える余裕はなかった。

    ただ、本当に産まれてきてくれた。

    それだけだった。

    そして、産まれた娘は、そのままNICUへ行くことになった。

    ずっと待ち続けて、ようやく会えたはずなのに、私たちの時間はすぐには始まらなかった。

    私はまだ分娩室にいて、娘はNICUへ向かっていく。

    妊娠中、何度も想像した「産まれたあとの生活」は、私が思い描いていた始まり方とは少し違っていた。

    でも、一つだけ確かなことがあった。

    娘は、産まれてきた。

    1月5日。

    この日に会おうと決めた娘が、本当に私たちのところまで来てくれた。

    あの日、病室で何度も願った。

    無事に産まれてきて。

    ちゃんと息をして。

    できることなら、声を聞かせて。

    そして、私たちに顔を見せて。

    まだ、そのすべての答えを私は知らなかった。

    NICUで何が待っているのかも。

    この子の身体に、実際にどんなことが起きているのかも。

    これから私たちの生活がどう変わっていくのかも。

    何も知らなかった。

    それでも、この日、一つだけはっきりしたことがあった。

    何度も未来を怖がった私たちのもとへ、

    あなたは、産まれてきた。

    ―― 第一章 完 ――

    第二章「産まれてから3ヶ月」へ

    産まれてすぐ、NICUへ向かった娘。

    初めて知る娘の身体のこと。

    病院で過ごす日々。

    思い描いていた育児とは少し違う、私たち家族の新しい生活。

    そして、少しずつ見えてきた「病気」ではない、この子自身の姿。

    物語は、産まれてからの最初の3ヶ月へ続きます。

  • Ito-chan’s Story — Chapter One, Episode Five

    The Day We Would Meet You Was Decided

    🇯🇵 Read in Japanese

    My due date was January 9.

    At the beginning of my pregnancy, I had thought of that date simply as the day I might finally meet our baby.

    I imagined the ordinary things people imagine.

    When would labor begin?

    Would I realize immediately that it had started?

    What would my husband be doing at that moment?

    How would it feel to finally hold the baby who had been inside me for so many months?

    But as the pregnancy progressed, January 9 began to mean something different.

    The closer we came to the end of the pregnancy, the more questions we had.

    Would our daughter be able to breathe on her own?

    Would she need medical treatment immediately after birth?

    What symptoms would actually be present?

    What complications, if any, would she have?

    The doctors repeatedly told us,

    “We won’t know the details until she is born.”

    There were things that no ultrasound could tell us.

    Things that no measurement could predict with certainty.

    We would have to wait until she was actually born.

    For months, I had been desperately trying to see the future before it arrived.

    I had searched for diagnoses.

    Read about symptoms.

    Imagined complications.

    Tried to prepare myself for every possible outcome.

    But eventually, I began to realize that there was a limit to how much I could know.

    And little by little, my thoughts became simpler.

    First, I just want her to be born safely.

    I want her to be born.

    I want her to be alive.

    Everything else can come afterward.

    We decided on a planned epidural delivery.

    Rather than waiting for labor to begin naturally, we discussed the schedule with the doctors and decided in advance when I would be admitted to the hospital and when we would prepare for the birth.

    My due date was January 9.

    But the day we decided to welcome our daughter was January 5.

    January 5.

    Until then, the day I would meet her had existed somewhere vaguely in the future.

    Suddenly, it had a date.

    I remember looking at the calendar.

    January 5.

    That was the day I would give birth to her.

    That was the day we would finally see her face.

    That was the day we might finally receive answers to the questions we had carried for months.

    Knowing the date of her birth meant knowing the date we would meet her.

    But it also meant knowing the date when many of the things I had been afraid of would finally become real or disappear.

    As January 5 approached, excitement and fear became almost impossible to separate.

    Sometimes I would look at my husband and say,

    “I’m going to do my best.”

    He would be there for the birth.

    When I thought back over the pregnancy, there had been so many moments when we did not understand each other.

    I had cried.

    I had become angry at how calm he seemed.

    I had wanted him to be afraid in the same way I was afraid.

    But he had driven me to the hospital again and again.

    Ninety minutes each way.

    Sometimes nearly two hours.

    Every two weeks.

    He had sat beside me while doctors explained things we had never imagined hearing.

    And now, when the day came, he would be beside me again.

    The hospital that had once frightened me had also begun to feel different.

    At first, I had associated it with bad possibilities.

    Every time we drove there, I wondered what we would be told next.

    But by the end of the pregnancy, I had begun to see it as the place that could protect our daughter.

    This was the hospital where the doctors already knew about her condition.

    This was where people were prepared in case she needed help breathing after birth.

    This was where she could receive medical care immediately if she needed it.

    And for us, this was the hospital where she needed to be born.

    Then the day of my scheduled admission arrived.

    Because we had chosen a planned epidural delivery, the date had been decided in advance.

    I knew when I would be admitted.

    My bags were packed.

    I had checked everything I needed.

    For days, I had known exactly when I would be leaving home for the hospital.

    Nothing happened suddenly.

    There was no unexpected rush.

    I had been given plenty of time to prepare myself.

    And yet, when the day finally arrived, I felt much lonelier than I had expected.

    Before leaving home, I looked around the room.

    The next time I come back here, she won’t be inside my stomach anymore.

    It was such a simple thought.

    But it made everything feel real.

    For months, wherever I went, our daughter had been with me.

    When I slept, she was there.

    When I ate, she was there.

    When I cried, she was there.

    When my husband and I argued about her future, she was there.

    When I searched for disease names late at night, she was there.

    Soon, for the first time, she would exist outside my body.

    When we arrived at the hospital and it was finally time for me to stay there, the loneliness became even stronger.

    I knew this day was coming.

    I knew being there was the safest thing for our daughter.

    I understood all of it.

    And still, I did not want my husband to leave.

    Until then, every time we had gone to the hospital, we had gone home together.

    No matter what we were told, no matter how frightened I became, eventually we would get back into the car and return home.

    But this time was different.

    This time, I stayed.

    Sitting in the hospital room, I rested my hand over my stomach.

    Our daughter moved.

    Soon, these movements would disappear.

    Not because she was gone.

    But because she would finally be here.

    Outside of me.

    In front of me.

    For months, fear had occupied so much of my mind.

    What disease does she have?

    How severe will it be?

    Will there be complications?

    Will she be able to breathe?

    What kind of life will she have?

    But now, so close to meeting her, those questions began to move slightly further away.

    Another feeling had become stronger.

    I want to meet you.

    I wanted to see the face from all those ultrasound pictures.

    I wanted to know whether her eyes were really as large as they had looked.

    I wanted to hear her voice.

    I wanted to touch her.

    I wanted to know what she smelled like.

    I wanted to finally meet the child I had spent so many months worrying about.

    I placed my hand over my stomach and spoke to her.

    “I’m going to do my best.”

    Then, silently, I added another wish.

    Please be born safely.

    First, just come to us.

    Everything else can wait.

    Whatever happens after that, we will think about it then.

    For so long, the unknown had meant only fear to me.

    But as I waited in that hospital room, I began to understand that the unknown also contained things I had not yet had the chance to love.

    I did not know her voice.

    I did not know her smile.

    I did not know her personality.

    I did not know what would make her laugh.

    I did not know what kind of child she would become.

    There were frightening things we did not know.

    But there were beautiful things we did not know too.

    My due date was January 9.

    But the day we had chosen to welcome our daughter was January 5.

    On that day, I would give birth to her.

    My husband would be there with me.

    And for the first time, we would see our daughter’s face.

    I had spent so much of the pregnancy asking what would happen after she was born.

    But now, there was only one thing I truly wanted.

    Please be born safely.

    Please breathe.

    If you can, let me hear your voice.

    And then—

    let us see your face.

    January 5 was almost here.

    The long months of pregnancy were coming to an end, and a completely new life with our daughter was about to begin.

    I still did not know what kind of day January 5 would become.

    I did not know what we would be told.

    I did not know what I would feel when I finally saw her.

    I only sat there in the hospital room, my hand resting over my stomach, feeling her move inside me and whispering the same words again and again.

    “We’ll meet soon.”

  • いとちゃんの物語 第一章 第五話

    あなたに会う日が決まった

    🌎 Read in English

    予定日は、1月9日だった。

    妊娠したばかりの頃の私は、その日をただ「赤ちゃんに会える日」だと思っていた。

    陣痛ってどんな感じなんだろう。

    ちゃんと産めるのかな。

    夫はそのとき何をしているんだろう。

    生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたら、私はどんな気持ちになるんだろう。

    そんな、どこにでもある出産への不安と楽しみを抱きながら、その日が来ることを想像していた。

    でも、妊娠が進み、この子に先天性脊椎骨端異形成症の可能性があると分かってから、私にとって「出産」は少し違う意味を持つようになっていった。

    ちゃんと呼吸ができるのだろうか。

    生まれてすぐに何か処置が必要になるのだろうか。

    実際には、どんな症状があるのだろう。

    どんな合併症があるのだろう。

    先生からは何度も、

    「詳しいことは、生まれてからでないと分かりません」

    と言われた。

    どれだけエコーで詳しく見ても、どれだけ骨の長さを測っても、生まれてみなければ分からないことがある。

    特に、自分の力で呼吸ができるのかどうか。

    その言葉は、私の中にずっと残っていた。

    それまでの私は、何とかして生まれる前に答えを知ろうとしていた。

    病名を検索して、症状を調べ、合併症を読み、まだ起きてもいない未来を何度も想像していた。

    でも、どれだけ調べても、最後にたどり着く答えは同じだった。

    生まれてみないと分からない。

    そして少しずつ、私の中で考え方が変わっていった。

    まずは、生まれてきてほしい。

    ちゃんと生まれて、生きていてほしい。

    そのあとのことは、そのあとで考えればいい。

    出産は、計画無痛分娩にすることになった。

    自然に陣痛が来るのを待つのではなく、先生と相談しながら入院する日や出産のスケジュールを決め、その日に向けて準備をしていく。

    予定日は1月9日だったけれど、私たちが実際に娘を迎える日として決めたのは、1月5日だった。

    1月5日。

    それまで、いつかやって来るものだった出産の日に、はっきりとした日付がついた。

    カレンダーを見るたびに、その数字が目に入った。

    この日に、私はこの子を産む。

    この日に、初めて顔を見る。

    そしてこの日に、これまでずっと分からなかったことのいくつかが、初めて分かる。

    出産の日が決まったということは、この子に会える日が決まったということでもあり、ずっと怖がっていた答えを知る日が決まったということでもあった。

    1月5日が近づくにつれて、楽しみなのか、怖いのか、自分でも分からなくなることがあった。

    私は夫に、

    「頑張って産むからね」

    と言った。

    夫も、出産には立ち会ってくれることになっていた。

    妊娠中、私たちは何度もぶつかった。

    私は夫の落ち着いた態度に腹を立て、どうしてもっと心配してくれないのかと思ったこともあった。

    同じくらい怖がってほしいと思ったこともあった。

    でも振り返れば、夫はずっと私の隣にいた。

    片道90分、混んでいれば2時間近くかかる病院まで、二週間に一度、何度も車を運転してくれた。

    知らない病名を聞くときも。

    先生から合併症の説明を受けるときも。

    私が泣いたときも。

    夫は、ずっとそばにいた。

    そして、出産の日も隣にいてくれる。

    そう思うと、少しだけ心強かった。

    それまで怖い場所だった病院も、出産が近づくにつれて、私の中で少しずつ意味が変わっていった。

    最初は、何か悪いことを言われる場所だと思っていた。

    病院へ向かうたびに、今日は何を言われるのだろうと怖かった。

    でも今は、この子に何かあったとき、すぐに助けてもらえる場所でもある。

    この子の状態を分かったうえで、出産に備えてくれている先生たちがいる。

    もし生まれたあとに呼吸がうまくできなくても、ここならすぐに対応してもらえる。

    私たちにとって、この病院は、この子を守ってもらうための場所になっていた。

    そして、入院する日が来た。

    計画無痛分娩だったから、その日は最初から決まっていた。

    いつ入院するのかも分かっていたし、荷物も準備していた。

    必要なものを確認して、何日も前からその日が来ることを知っていた。

    だから、突然何かが起きたわけではない。

    心の準備をする時間も、十分にあったはずだった。

    それなのに、実際に病院へ向かう日になると、私は想像していた以上に寂しかった。

    家を出る前、いつもの部屋を見渡した。

    次にここへ帰ってくるとき、この子はもうお腹の中にはいないんだ。

    そう思った。

    妊娠してからずっと、この子は私と一緒にいた。

    眠るときも。

    ご飯を食べるときも。

    病院へ行くときも。

    泣いたときも。

    夫と喧嘩をしたときも。

    夜中に病名を検索していたときも。

    どこへ行くときも、この子は私のお腹の中にいた。

    それが、もうすぐ終わる。

    この子がいなくなるわけではない。

    むしろ、やっと会える。

    それなのに、お腹の中にいるこの子との時間が終わることが、少し寂しかった。

    そして病院に着き、いよいよ入院となると、その寂しさはさらに強くなった。

    入院する日は決まっていた。

    分かっていた。

    この子のためには、ここにいることが一番安全だということも理解していた。

    それでも、私は入院が嫌だった。

    夫と離れて病室に残ることが、とても寂しかった。

    それまでは、どんなに怖い話を聞いても、診察が終われば夫と一緒に車に乗って家へ帰っていた。

    でも、この日は違った。

    私はここに残る。

    次に夫と一緒にこの病院を出るときには、私たちはもう二人ではない。

    病室で一人になり、私は大きくなったお腹に手を当てた。

    赤ちゃんが動いた。

    この胎動を感じるのも、あと少しなんだ。

    そう思うと、不思議な気持ちになった。

    この子が動かなくなるのではない。

    もう、お腹の中から動きを感じる必要がなくなる。

    目の前にいるこの子を、直接見ることができるようになる。

    長い間、私は怖がっていた。

    何の病気なのか。

    どんな症状があるのか。

    合併症はあるのか。

    呼吸はできるのか。

    将来はどうなるのか。

    でも、出産が目の前まで来ると、それらの問いよりも強い気持ちが一つだけ残った。

    会いたい。

    エコーで何度も見た顔に会いたい。

    あの写真みたいに、本当に目が大きいのか見てみたい。

    声を聞きたい。

    触ってみたい。

    抱いてみたい。

    どんなにおいがするのか知りたい。

    ずっと心配し続けてきたこの子に、ようやく会いたかった。

    私はお腹に手を当てながら、

    「頑張って産むからね」

    と話しかけた。

    そして心の中で、何度も願った。

    無事に、生まれてきて。

    まずは、私たちのところまで来て。

    それから先のことは、そのときに考えるから。

    それまで私にとって「分からないこと」は、ずっと怖いものだった。

    でも、出産を目前にして、少しだけ違うことにも気づき始めていた。

    分からないのは、病気のことだけではない。

    この子がどんな声で泣くのかも、どんな顔で笑うのかも、どんな性格なのかも、私はまだ何も知らない。

    何が好きになるのか。

    どんなことで笑うのか。

    どんなふうに私たちを困らせるのか。

    どんなふうに私たちを幸せにしてくれるのか。

    怖い「分からない」がある一方で、これから知っていける「分からない」も、たくさん残っていた。

    予定日は1月9日。

    けれど、私たちがこの子を迎えるために決めた日は、1月5日だった。

    この日に私は、この子を産む。

    夫も立ち会ってくれる。

    そして私たちは、初めてこの子の顔を見る。

    どうか、無事に生まれてきて。

    ちゃんと息をして。

    できることなら、あなたの声を聞かせて。

    そして——

    私たちに、あなたの顔を見せて。

    1月5日。

    長かった妊娠生活が終わり、あなたとの新しい生活が始まる日が、すぐそこまで来ていた。

    私はまだ、その日がどんな一日になるのか知らない。

    ただ病室で、大きくなったお腹に手を当てながら、

    「もうすぐ会えるね」

    と、何度もあなたに話しかけていた。

  • いとちゃんの物語 第一章 第四話

    あなたの未来を、まだ何も知らない

    🌎 Read in English

    二週間に一度の通院が、いつの間にか私たちの生活の一部になっていた。

    病院へ向かう道も、受付をして待つ時間も、診察室に入りエコーを見る流れも、少しずつ慣れていった。

    でも、慣れたからといって、怖くなくなったわけではなかった。

    病院へ行くたびに、私はどこかで期待していた。

    もしかしたら、今回は骨が伸びているかもしれない。

    前回より少しでも成長曲線に近づいているかもしれない。

    先生から、

    「少し追いついてきましたね」

    と言ってもらえるかもしれない。

    そんな希望を抱きながら、毎回ベッドに横になった。

    でも、検査を重ねても、結果は大きく変わらなかった。

    頭は育っている。

    身体も育っている。

    心臓は動いている。

    血流にも大きな問題はない。

    それなのに、長管骨の長さだけが、成長曲線から少しずつ離れていった。

    さらに詳しく診てもらう中で、長管骨が短いことだけではなく、恥骨が十分に確認できないことや、頸椎にも特徴があることを説明された。

    最初はたくさんあった病気の可能性が、少しずつ絞られていった。

    そしてある日、先生から、

    「先天性脊椎骨端異形成症の可能性が高いと思います」

    と言われた。

    長い病名だった。

    先天性。

    脊椎。

    骨端。

    異形成症。

    一つずつの言葉は聞き取れても、それらが全部つながると、すぐには頭に入ってこなかった。

    私は心の中で、その言葉を何度も繰り返した。

    先天性脊椎骨端異形成症。

    それまで検索画面で見てきたいくつもの病名の中から、一つの名前が、自分たちの子どもに近づいてきたように感じた。

    先生は、ゆっくり説明してくれた。

    低身長になる可能性があること。

    症状には個人差があること。

    目や耳に症状が出る可能性があること。

    口蓋裂や呼吸の問題などが起こることもあること。

    私は最初、

    「低身長だけなら、それもこの子の個性として受け入れられるかもしれない」

    と思った。

    でも、説明が続くにつれて、また怖くなった。

    目が見えにくくなるかもしれない。

    耳が聞こえにくくなるかもしれない。

    呼吸がうまくできないかもしれない。

    まだ何も起きていない。

    まだ生まれてもいない。

    それなのに、頭の中にはまた、何年も先の未来が次々と浮かんできた。

    それでも、その頃の私には、何度見ても少し笑ってしまうエコー写真が一枚あった。

    ある日の検査で、先生が赤ちゃんの顔を真正面から映してくれた。

    画面を見た瞬間、私は思わず、

    「……目、大きすぎない?」

    と思った。

    白黒の画面の中で、身体の大きさに対して驚くほど存在感のある目が、ぱっちりと映っていた。

    もちろんエコーだから、本当にそんな顔をしているわけではないのかもしれない。

    角度や映り方の問題もあるのだと思う。

    それでも、その写真は何度見ても目の存在感がすごくて、家に帰ってからも夫と一緒に何度も見返した。

    その頃の私は、病院へ行けば長管骨の長さを聞き、成長曲線を見て、知らない病名や合併症の説明を受けるたびに気持ちが沈んでいた。

    でも、一枚のエコー写真を見ただけで、

    「この子、本当はどんな顔で生まれてくるんだろう」

    と、純粋に楽しみに思える瞬間があった。

    病気のことを忘れたわけではない。

    不安がなくなったわけでもない。

    ただ、その写真を見ている間だけは、この子は「先天性脊椎骨端異形成症の可能性がある赤ちゃん」ではなく、目がびっくりするほど大きく映った、私たちの娘だった。

    不安と愛おしさは、どちらか一つになるものではなかった。

    怖くて仕方がないのに、会いたくて仕方がない。

    病気のことを考えると涙が出るのに、エコー写真を見ると笑ってしまう。

    その二つの感情が、私の中ではいつも一緒に存在していた。

    そしてある日、私たちは小児科の先生から、改めて話を聞くことになった。

    その先生は、とても優しい人だった。

    一方的に説明を進めるのではなく、私たちの表情を見ながら、ゆっくり言葉を選んで話してくれた。

    私は、先生の話を聞き逃さないようにしようと思っていた。

    ちゃんと聞こう。

    泣かないようにしよう。

    できるだけ冷静でいよう。

    そう自分に言い聞かせていた。

    でも、本当はずっと怖かった。

    二週間に一度病院へ来るたびに、骨の長さがどれくらいだったのかを気にしていた。

    先生が画面を見ながら黙る時間が怖かった。

    数字を見ることも怖かった。

    最初は、何も分からないことが怖かったはずなのに、今度は少しずつ分かっていくことまで怖くなっていた。

    そして、先生が優しく声をかけてくれた瞬間、それまで必死に張っていた糸が突然切れたような気がした。

    涙が出た。

    一度出始めると、止まらなかった。

    何が悲しかったのか、自分でもうまく説明できなかった。

    怖かった。

    悔しかったのかもしれない。

    「どうしてこの子なんだろう」と思っていたのかもしれない。

    まだ何も決まっていないのに、先のことばかり考えてしまう自分が苦しかったのかもしれない。

    ただ、ずっと怖かった。

    夫は隣に座っていた。

    何か特別な言葉を言うわけではなく、ただそばにいてくれた。

    そのことが、そのときの私にはありがたかった。

    帰りの車の中で、私はお腹に手を当てた。

    病名を聞く前から、この子はずっとここにいた。

    そして病名を聞いたあとも、この子自身は何も変わっていない。

    変わってしまったのは、私たちが知っていることの方だった。

    「先天性脊椎骨端異形成症」

    その長い名前が、この子のすべてを覆ってしまいそうになることがあった。

    でも、お腹の中でこの子が動くと、そのたびに思い出した。

    この子には、病気以外にも、まだ私たちが知らないことがたくさんある。

    どんな声で泣くのか。

    どんな顔で笑うのか。

    どんな性格なのか。

    何が好きなのか。

    どんなことで怒るのか。

    どんなことで笑うのか。

    どんなふうに私たちを困らせ、どんなふうに私たちを笑わせてくれるのか。

    未来のことは、病気のことだけではなかった。

    エコー写真を見るたびに、

    本当にあの写真みたいに目が大きいのかな。

    どんな声で泣くんだろう。

    抱いたら、どんなにおいがするんだろう。

    そんなことを考えるようになった。

    私はまだ、

    「どんな病気でも大丈夫」

    と言えるほど強くはなかった。

    怖いものは怖かった。

    できることなら、何も問題がありませんようにと思っていた。

    でも、それでも少しずつ、一つの気持ちだけは確かに強くなっていた。

    会いたい。

    病名ではなく、この子に。

    エコーの中で何度も見てきた、あの小さな顔に。

    先生が「可愛いね」と言ってくれた、私たちの娘に。

    そして、そんな私の気持ちが追いつくのを待ってはくれないように、出産の日は少しずつ近づいていた。

  • いとちゃんの物語 第一章 第三話

    7ヶ月、大きな病院へ

    🌎 Read in English

    妊娠7ヶ月。

    私たちは、紹介された大きな病院へ向かった。

    家から病院までは、車でおよそ90分。

    道路が混んでいれば、2時間近くかかることもあった。

    その長い道のりを、夫が運転してくれた。

    私は助手席に座りながら、何度もお腹に手を当てていた。

    早く詳しく調べてほしい。

    何が起きているのか知りたい。

    でも、もし何かはっきりしたことを言われたらどうしよう。

    できることなら、今日の検査で「何もありませんでした」と言ってほしい。

    知りたいのに、知るのが怖い。

    答えが欲しいのに、悪い答えなら聞きたくない。

    そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、病院へ向かった。

    病院に着くと、近所の産婦人科とはまったく違う空気があった。

    建物も大きく、待合室も広い。

    患者さんの数も多く、妊婦さんだけではなく、小さな赤ちゃんを抱いている人や、家族で来ている人もたくさんいた。

    楽しそうに話している家族がいた。

    赤ちゃんを見ながら笑っている人もいた。

    一方で、疲れ切ったような表情で椅子に座っている人もいた。

    静かに床を見つめている家族もいた。

    そして、声を抑えることもできないほど泣いている家族を見たこともあった。

    その光景を見たとき、私は思った。

    もしかしたら、私たちもいつか、こちら側になるのかもしれない。

    それまで「病気かもしれない」という言葉は、怖いけれど、まだどこか現実感のないものだった。

    でも、大きな病院で実際にいろいろな事情を抱えている家族を目の前にすると、その言葉が急に現実に近づいてきた。

    名前を呼ばれ、診察室へ入った。

    ベッドに横になり、お腹にジェルを塗られる。

    画面に赤ちゃんが映った。

    赤ちゃんはよく動いていた。

    先生が測ろうとすると手を動かし、身体の向きを変え、なかなかちょうどいい角度になってくれないこともあった。

    その姿を見ると、一瞬だけ緊張が和らいだ。

    今日もちゃんといる。

    今日も動いている。

    それだけで少し安心した。

    けれど、検査が始まると、またすぐに緊張した。

    一回のエコーは、だいたい30分ほどかかった。

    頭。

    お腹。

    心臓。

    血流。

    内臓。

    そして骨。

    先生は一つひとつ、とても丁寧に確認していった。

    画面の中で測りたい場所を探し、線を引き、数字を確認し、少し角度を変えてからもう一度測る。

    赤ちゃんが動けば、また位置を調整し直す。

    私は先生の動きを見ながら、何度もその表情を確認していた。

    数字の意味は分からない。

    医学的なことも分からない。

    でも、先生が長く画面を見ていたり、黙って何度も測り直していたりすると、それだけで不安になった。

    沈黙が、怖かった。

    心臓はしっかり動いていた。

    血流にも問題はないと言われた。

    内臓も一つずつ確認され、大きな問題は見つからなかった。

    頭や身体も成長していた。

    でも、骨だけが短かった。

    特に、大腿骨と上腕骨。

    先生はそれぞれの骨を画面いっぱいに映し、端から端まで丁寧に線を引いて測っていた。

    成長曲線を見ると、身体のほかの部分はある程度成長しているのに、骨の長さだけが少しずつ離れていた。

    私はその画面を見ながら、

    「やっぱり、骨だけなんだ」

    と思った。

    近所の産婦人科で言われたことが、偶然ではなかったのだということを、少しずつ実感した。

    先生からは、遺伝的なものや、さまざまな病気の可能性について説明された。

    いくつもの病名が出てきた。

    そのどれも、私はほとんど聞いたことがなかった。

    まだ病名は決まらない。

    でも、「何かがあるかもしれない」という可能性は、少しずつ現実味を帯びていった。

    検査の時間は緊張の連続だった。

    けれど、すべてが怖い時間だったわけではなかった。

    先生が骨や心臓を一通り確認したあと、ときどき赤ちゃんの顔がよく見える角度を探してくれることがあった。

    ある日、顔が真正面から映った。

    白黒の画面の中で、黒目のように見える部分がぱっちりと映っていた。

    先生が、

    「可愛いね」

    と言った。

    その一言が、なぜかとても嬉しかった。

    病気を探すために検査をしている場所で、骨の長さを測り、成長曲線を確認し、さまざまな可能性を話している中で、先生がこの子をただ「可愛い」と言ってくれた。

    その瞬間だけ、この子が病気の可能性を調べられている赤ちゃんではなく、私たちの娘に戻ったような気がした。

    病院へ行くたびに、エコー写真が増えていった。

    横顔。

    身体。

    手足。

    顔。

    家に帰ると、私はそれを何度も見返した。

    怖い。

    でも、可愛い。

    不安。

    でも、会いたい。

    その頃の私は、自分の中にある感情をうまく整理できなかった。

    病気のことを考えると怖くて泣きたくなるのに、エコー写真を見ると「早く会いたい」と思う。

    不安と愛おしさが、いつも同時に存在していた。

    この病院へ来た日から、妊婦健診はすべてここで受けることになった。

    二週間に一度。

    夫が運転する車で、同じ道を何度も通った。

    最初の頃は、待合室にいる家族を見るたびに怖かった。

    自分たちの未来を見ているような気がした。

    でも、何度も通ううちに、少しずつその見え方が変わっていった。

    そこにいる人たちは、みんな同じ「病気の子どもの家族」ではなかった。

    一人ひとり違う事情があり、違う生活があり、その中で笑ったり、疲れたり、泣いたりしている。

    家族によって、それぞれの毎日がある。

    私たちも、この先何が起きたとしても、きっと私たちなりの日常を作っていくのかもしれない。

    そんなことを、ほんの少しだけ思えるようになった。

    そして、お腹が大きくなるにつれて、私の不安も少しずつ形を変えていった。

    何の病気なのか。

    という怖さから、

    どんな顔をして生まれてくるんだろう。

    無事に生まれてきてくれるだろうか。

    私は、この子を見たとき何を思うんだろう。

    という怖さへ。

    時間は、私の気持ちが追いつくのを待ってはくれなかった。

    出産の日は、少しずつ近づいていた。

  • いとちゃんの物語 第一章 第二話

    病名を検索した夜

    🌎 Read in English

    家に帰ってからも、病院で聞いた言葉は、頭の中から離れてくれなかった。

    「手足の骨が短い」

    「骨のバランスが少し気になる」

    まだ何も決まったわけではない。

    成長には個人差があるし、今の時点では分からないことも多い。

    先生はそう説明してくれていたはずなのに、私の中では、もう何か大変なことが起きてしまったような感覚になっていた。

    家に帰っても、朝までと同じ景色には見えなかった。

    夫は相変わらず落ち着いていた。

    いつも通り着替え、いつも通り家の中を動き、いつも通り話している。

    私はそんな夫の様子を見ながら、少しずつ苛立っていった。

    どうしてそんなに平気でいられるの。

    自分の子どものことなのに。

    私はこんなに怖いのに。

    夫が何も感じていないわけではないことくらい、本当は分かっていたのかもしれない。

    でも、そのときの私は自分の不安でいっぱいで、夫の表情の奥まで考える余裕がなかった。

    食事を目の前にしても、あまり食欲が湧かなかった。

    何か口に入れようとしても、すぐに先生の言葉が浮かんできた。

    お腹に手を当てると、赤ちゃんが動いた。

    そのたびに少し安心した。

    でも、その安心は長く続かなかった。

    私はスマートフォンを開いた。

    病院で聞いた言葉を、一つずつ検索窓に打ち込んでいった。

    一つの記事を読むと、また分からない言葉が出てくる。

    その言葉をさらに検索する。

    すると、また別の病名にたどり着く。

    症状。

    遺伝。

    合併症。

    手術。

    成長。

    将来。

    最初は、知れば安心できると思っていた。

    でも、読めば読むほど、私はその一つひとつをお腹の中の我が子に当てはめるようになっていった。

    まだ何も決まっていない。

    それでも私は、

    「もしこの病気だったら」

    「もし歩くことに何か問題が出たら」

    「もし目や耳にも症状が出たら」

    「学校に行くようになったらどうなるんだろう」

    「友達はできるのかな」

    「大人になったら、どんな生活になるんだろう」

    と、まだ生まれてもいない娘の何十年も先まで想像していた。

    今思えば、私は目の前の赤ちゃんを見ているのではなく、自分の頭の中で作り上げた未来ばかりを見ていたのだと思う。

    でも、そのときは、それに気づかなかった。

    怖くなって、私は夫に話した。

    「もしこういう病気だったら、どうする?」

    夫は少し考えてから、

    「そのときになってみないと分からないよ」

    と言った。

    その言葉が、私は嫌だった。

    「でも、心配じゃないの?」

    と聞くと、夫は、

    「先のことなんて分からないし、分からないことを今からずっと考えても仕方ないんじゃない?」

    と答えた。

    正しいことを言っているのかもしれない。

    今になれば、夫の言葉の意味も少し分かる。

    でも、そのときの私は、正しい答えなんて求めていなかった。

    欲しかったのは、

    「怖いよね」

    「心配だよね」

    「一緒に考えよう」

    そんな言葉だった。

    私は、不安を半分持ってほしかった。

    夫にも同じように取り乱してほしいわけではなかったし、同じように眠れなくなってほしいわけでもなかった。

    ただ、自分だけが暗い場所に取り残されているような感覚から、少しだけ救ってほしかった。

    でも夫は、

    「まだ何も決まってないんだから、考えなくていいよ」

    と言った。

    そして、まだ起きていないことを想像して泣き続けることも、お腹の赤ちゃんにとって良いことではないんじゃないか、と言った。

    その言葉に、私は余計に腹が立った。

    私は心配したくて心配しているわけではない。

    泣きたくて泣いているわけでもない。

    考えないようにできるなら、とっくにそうしている。

    怖いものは、怖かった。

    私たちは言い合いになった。

    夫の言っていることが正しいかどうかではなく、気持ちを分かってもらえないことが苦しかった。

    そして、私は泣いた。

    お腹の中の赤ちゃんのことを考えて泣いているのに、泣いている自分が赤ちゃんに悪いのではないかと思うと、さらに苦しくなった。

    何をしても間違っているような気がした。

    今振り返ると、夫は夫で、この子と私を守ろうとしていたのだと思う。

    私と同じように未来を怖がるのではなく、まだ起きてもいないことに、今の私たちの生活まで支配させないようにしていたのかもしれない。

    もし夫まで一緒になって、

    「どうしよう」

    「きっと大変なことになる」

    「この先どうなるんだろう」

    と怯えていたら、私たちは二人でさらに深いところまで沈んでいたかもしれない。

    もしかしたら、まだ何も分からない段階で、この子の存在そのものを「怖いもの」として見てしまっていたかもしれない。

    あの頃の私は、そんなふうには考えられなかった。

    ただ、夫の言葉が冷たく感じた。

    私だけが怖がっているように思えた。

    私だけが、この子の未来を心配しているような気がした。

    でも、お腹の中の赤ちゃんは、そんな私たちのやり取りとは関係なく、いつも通り動いていた。

    検索画面には、知らない病名が並んでいた。

    画面を閉じても、その言葉は頭から消えてくれなかった。

    でも、スマートフォンを置いて、お腹に手を当てると、この子は今ここにいた。

    私が何十年も先の未来まで想像している間にも、この子は今、この瞬間を生きていた。

    そのことに、私はまだ気づききれていなかった。

    そして妊娠7ヶ月になった頃、私たちは、さらに詳しく診てもらうため、大きな病院へ行くことになった。

    知りたい。

    でも、知るのが怖い。

    そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、私たちは次の病院へ向かった。

  • いとちゃんの物語 第一章 第一話

    いとちゃんの物語 第一章 第一話

    少し、気になるところがあります。

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    その日も、いつもと変わらない妊婦健診のはずだった。

    病院へ向かう道も、受付を済ませて待合室で呼ばれるまでの時間も、特別なことは何もなく、私はいつものように「今日はどんな姿が見られるかな」と、少し楽しみにしながら順番を待っていた。

    妊婦健診の中でも、エコーを見る時間は好きだった。

    普段はお腹の中にいて、触れることも、顔を見ることもできない我が子が、ほんの少しの時間だけ画面の中に姿を見せてくれる。

    手を動かしていたり、身体の向きを変えていたり、ときには顔を隠していたりして、そのたびに「今日はよく動いてるね」と夫と話しながら、少しずつ大きくなっていく姿を見ることが嬉しかった。

    その日も、いつものように診察室へ入り、ベッドに横になってお腹を出すと、ジェルを塗られ、白黒のエコー画面に赤ちゃんの姿が映し出された。

    最初は、何も変わったことには気づかなかった。

    画面の中には、いつもと同じように小さな身体を丸めた赤ちゃんがいて、先生は頭の大きさやお腹の大きさを測りながら、いつものように診察を進めていた。

    私は画面を見ながら、「今日も元気そうだな」くらいに思っていた。

    ところが、途中から先生が少し長く画面を見るようになった。

    同じところを何度か確認し、線を引いて数字を出して、少し角度を変えてからまた測る。

    一本測り終えると、別の場所へ移り、また同じように測る。

    その頃から、診察室の空気が少し変わったように感じた。

    普段なら先生が途中で何か話してくれるのに、その日は画面をじっと見ている時間が長かった。

    私は何が起きているのか分からないまま、先生の手元と画面を交互に見ていた。

    聞きたい。

    でも、聞くのが怖い。

    そんな気持ちがあった。

    そして、しばらくして先生が、

    「少し、気になるところがあります」

    と言った。

    その一言で、それまでぼんやりしていた不安が急にはっきりした。

    先生は画面を見ながら、

    「手足の骨が、少し短めに見えますね」

    と説明してくれた。

    私は画面を見た。

    でも、どこが短いのか分からなかった。

    私には、いつもと同じ赤ちゃんに見えた。

    「短いって、どういうことですか?」

    そう聞くと、先生は、すぐに何か病気だと決まったわけではないこと、成長には個人差もあることを説明してくれた。

    ただ、通常のエコーだけでは分かりにくい部分もあるので、もう少し詳しく赤ちゃんの身体を見た方がいい、と言われた。

    そして、

    「一度、4Dのエコーで詳しく見てみた方がいいと思います」

    と勧められた。

    4Dエコー。

    それまで私にとって4Dエコーといえば、赤ちゃんの顔が立体的に見える、少し特別なエコーというくらいのイメージしかなかった。

    顔が見えるかな。

    どちらに似ているかな。

    そんなふうに、楽しみのために見るものだと思っていた。

    まさか、自分が赤ちゃんの身体を詳しく調べるために4Dエコーを受けることになるとは思っていなかった。

    そして私は、4Dエコーで詳しく診てもらうことになった。

    普通のエコーよりも詳しく、赤ちゃんの身体を一つずつ確認していく。

    頭、身体、手、足、そして手足の骨。

    先生は何度も角度を変えながら、丁寧に見ていった。

    少し前まで「顔が見えるかな」と思っていたはずなのに、そのときの私の頭にあったのは、

    「何もありませんように」

    ということだけだった。

    先生が画面を見ている時間が長くなるたびに、胸の奥が苦しくなった。

    何か見つかったのかな。

    やっぱり短いのかな。

    大丈夫なのかな。

    聞きたいのに、怖くて聞けなかった。

    画面の中では、赤ちゃんが動いていた。

    私がこんなに不安になっていることなんて知らないように、いつも通り身体を動かしていた。

    その姿を見ていると少し安心するのに、先生がまた骨を確認し始めると、すぐに不安が戻ってきた。

    検査のあと、先生から改めて説明を受けた。

    やはり、手足の長い骨、いわゆる長管骨が少し短いこと。

    そして、手足の骨のバランスにも少し気になるところがあること。

    「長管骨」という言葉を、私はそのとき初めて知った。

    先生は、今の段階ではまだはっきりとは分からないこと、これからの成長を見ていく必要があることを話してくれた。

    私は説明を聞きながら何度もうなずいたけれど、正直なところ、頭にはほとんど入ってこなかった。

    「骨が短い」

    その言葉だけが残った。

    病院を出たあとも、その言葉は頭の中に残り続けた。

    隣にいる夫は、私よりずっと落ち着いているように見えた。

    もちろん、夫にも不安はあったのだと思う。

    でも、そのときの私は自分のことで精いっぱいで、夫の気持ちを想像する余裕はなかった。

    どうしてそんなに普通でいられるんだろう。

    私はこんなに怖いのに。

    そんなことを思っていた。

    家に帰ってからも、診察のことばかり考えた。

    普通のエコーで少し気になると言われ、4Dエコーで詳しく見てもらい、そこで改めて骨の短さを指摘された。

    朝までは、ただの妊婦健診の日だった。

    それなのに、たった一日で、自分たちの妊娠生活に今まで知らなかった不安が入り込んできた。

    お腹に手を当てると、赤ちゃんが動いた。

    いつもと同じ胎動だった。

    病院で何を言われても、この子自身は何も変わっていない。

    そのことが、少しだけ救いだった。

    でも、安心できたのはほんの短い時間だった。

    私はスマートフォンを手に取った。

    「胎児 手足 骨 短い」

    「長管骨 短い」

    「妊娠 骨 短い 病気」

    覚えている言葉を、一つずつ検索窓に入れていった。

    すると、知らない病名がいくつも出てきた。

    聞いたことのない病気。

    遺伝。

    骨の病気。

    合併症。

    将来。

    少し調べれば安心できると思っていた。

    何が起きているのか分かれば、怖さも減ると思っていた。

    でも、実際には逆だった。

    知れば知るほど、また別の不安が生まれてきた。

    まだ何も決まっていないのに、検索画面に出てくる言葉が、全部自分たちの子どもに関係しているように見えてしまった。

    私はその夜、初めて知った。

    分からないことは怖い。

    でも、知ろうとすることもまた、怖いのだということを。

    この日から、私たちの妊娠生活は少しずつ変わっていった。

    ただ赤ちゃんが大きくなることを楽しみにしていた時間の中に、検査や数字、骨の長さという言葉が入り込んできた。

    まだこのときの私は知らなかった。

    この先、もっと詳しい検査を受けることになることも。

    いくつもの聞いたことのない病名を耳にすることも。

    何度も不安になり、何度も泣くことになることも。

    そして、それでもこの子に会いたいという気持ちだけは、少しずつ強くなっていくことも。