いとちゃんの物語 第一章 第五話

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あなたに会う日が決まった

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予定日は、1月9日だった。

妊娠したばかりの頃の私は、その日をただ「赤ちゃんに会える日」だと思っていた。

陣痛ってどんな感じなんだろう。

ちゃんと産めるのかな。

夫はそのとき何をしているんだろう。

生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたら、私はどんな気持ちになるんだろう。

そんな、どこにでもある出産への不安と楽しみを抱きながら、その日が来ることを想像していた。

でも、妊娠が進み、この子に先天性脊椎骨端異形成症の可能性があると分かってから、私にとって「出産」は少し違う意味を持つようになっていった。

ちゃんと呼吸ができるのだろうか。

生まれてすぐに何か処置が必要になるのだろうか。

実際には、どんな症状があるのだろう。

どんな合併症があるのだろう。

先生からは何度も、

「詳しいことは、生まれてからでないと分かりません」

と言われた。

どれだけエコーで詳しく見ても、どれだけ骨の長さを測っても、生まれてみなければ分からないことがある。

特に、自分の力で呼吸ができるのかどうか。

その言葉は、私の中にずっと残っていた。

それまでの私は、何とかして生まれる前に答えを知ろうとしていた。

病名を検索して、症状を調べ、合併症を読み、まだ起きてもいない未来を何度も想像していた。

でも、どれだけ調べても、最後にたどり着く答えは同じだった。

生まれてみないと分からない。

そして少しずつ、私の中で考え方が変わっていった。

まずは、生まれてきてほしい。

ちゃんと生まれて、生きていてほしい。

そのあとのことは、そのあとで考えればいい。

出産は、計画無痛分娩にすることになった。

自然に陣痛が来るのを待つのではなく、先生と相談しながら入院する日や出産のスケジュールを決め、その日に向けて準備をしていく。

予定日は1月9日だったけれど、私たちが実際に娘を迎える日として決めたのは、1月5日だった。

1月5日。

それまで、いつかやって来るものだった出産の日に、はっきりとした日付がついた。

カレンダーを見るたびに、その数字が目に入った。

この日に、私はこの子を産む。

この日に、初めて顔を見る。

そしてこの日に、これまでずっと分からなかったことのいくつかが、初めて分かる。

出産の日が決まったということは、この子に会える日が決まったということでもあり、ずっと怖がっていた答えを知る日が決まったということでもあった。

1月5日が近づくにつれて、楽しみなのか、怖いのか、自分でも分からなくなることがあった。

私は夫に、

「頑張って産むからね」

と言った。

夫も、出産には立ち会ってくれることになっていた。

妊娠中、私たちは何度もぶつかった。

私は夫の落ち着いた態度に腹を立て、どうしてもっと心配してくれないのかと思ったこともあった。

同じくらい怖がってほしいと思ったこともあった。

でも振り返れば、夫はずっと私の隣にいた。

片道90分、混んでいれば2時間近くかかる病院まで、二週間に一度、何度も車を運転してくれた。

知らない病名を聞くときも。

先生から合併症の説明を受けるときも。

私が泣いたときも。

夫は、ずっとそばにいた。

そして、出産の日も隣にいてくれる。

そう思うと、少しだけ心強かった。

それまで怖い場所だった病院も、出産が近づくにつれて、私の中で少しずつ意味が変わっていった。

最初は、何か悪いことを言われる場所だと思っていた。

病院へ向かうたびに、今日は何を言われるのだろうと怖かった。

でも今は、この子に何かあったとき、すぐに助けてもらえる場所でもある。

この子の状態を分かったうえで、出産に備えてくれている先生たちがいる。

もし生まれたあとに呼吸がうまくできなくても、ここならすぐに対応してもらえる。

私たちにとって、この病院は、この子を守ってもらうための場所になっていた。

そして、入院する日が来た。

計画無痛分娩だったから、その日は最初から決まっていた。

いつ入院するのかも分かっていたし、荷物も準備していた。

必要なものを確認して、何日も前からその日が来ることを知っていた。

だから、突然何かが起きたわけではない。

心の準備をする時間も、十分にあったはずだった。

それなのに、実際に病院へ向かう日になると、私は想像していた以上に寂しかった。

家を出る前、いつもの部屋を見渡した。

次にここへ帰ってくるとき、この子はもうお腹の中にはいないんだ。

そう思った。

妊娠してからずっと、この子は私と一緒にいた。

眠るときも。

ご飯を食べるときも。

病院へ行くときも。

泣いたときも。

夫と喧嘩をしたときも。

夜中に病名を検索していたときも。

どこへ行くときも、この子は私のお腹の中にいた。

それが、もうすぐ終わる。

この子がいなくなるわけではない。

むしろ、やっと会える。

それなのに、お腹の中にいるこの子との時間が終わることが、少し寂しかった。

そして病院に着き、いよいよ入院となると、その寂しさはさらに強くなった。

入院する日は決まっていた。

分かっていた。

この子のためには、ここにいることが一番安全だということも理解していた。

それでも、私は入院が嫌だった。

夫と離れて病室に残ることが、とても寂しかった。

それまでは、どんなに怖い話を聞いても、診察が終われば夫と一緒に車に乗って家へ帰っていた。

でも、この日は違った。

私はここに残る。

次に夫と一緒にこの病院を出るときには、私たちはもう二人ではない。

病室で一人になり、私は大きくなったお腹に手を当てた。

赤ちゃんが動いた。

この胎動を感じるのも、あと少しなんだ。

そう思うと、不思議な気持ちになった。

この子が動かなくなるのではない。

もう、お腹の中から動きを感じる必要がなくなる。

目の前にいるこの子を、直接見ることができるようになる。

長い間、私は怖がっていた。

何の病気なのか。

どんな症状があるのか。

合併症はあるのか。

呼吸はできるのか。

将来はどうなるのか。

でも、出産が目の前まで来ると、それらの問いよりも強い気持ちが一つだけ残った。

会いたい。

エコーで何度も見た顔に会いたい。

あの写真みたいに、本当に目が大きいのか見てみたい。

声を聞きたい。

触ってみたい。

抱いてみたい。

どんなにおいがするのか知りたい。

ずっと心配し続けてきたこの子に、ようやく会いたかった。

私はお腹に手を当てながら、

「頑張って産むからね」

と話しかけた。

そして心の中で、何度も願った。

無事に、生まれてきて。

まずは、私たちのところまで来て。

それから先のことは、そのときに考えるから。

それまで私にとって「分からないこと」は、ずっと怖いものだった。

でも、出産を目前にして、少しだけ違うことにも気づき始めていた。

分からないのは、病気のことだけではない。

この子がどんな声で泣くのかも、どんな顔で笑うのかも、どんな性格なのかも、私はまだ何も知らない。

何が好きになるのか。

どんなことで笑うのか。

どんなふうに私たちを困らせるのか。

どんなふうに私たちを幸せにしてくれるのか。

怖い「分からない」がある一方で、これから知っていける「分からない」も、たくさん残っていた。

予定日は1月9日。

けれど、私たちがこの子を迎えるために決めた日は、1月5日だった。

この日に私は、この子を産む。

夫も立ち会ってくれる。

そして私たちは、初めてこの子の顔を見る。

どうか、無事に生まれてきて。

ちゃんと息をして。

できることなら、あなたの声を聞かせて。

そして——

私たちに、あなたの顔を見せて。

1月5日。

長かった妊娠生活が終わり、あなたとの新しい生活が始まる日が、すぐそこまで来ていた。

私はまだ、その日がどんな一日になるのか知らない。

ただ病室で、大きくなったお腹に手を当てながら、

「もうすぐ会えるね」

と、何度もあなたに話しかけていた。